ヴィスコンティーの山猫
'15.10.15塩野七生のローマ史を読んでいて場面はローマとカルタゴの戦いとなった。前264~241年の第1回ポエニ戦争である。ポエニとはラテン語でカルタゴを支配したフェニキア人を意味する。舞台はシチリア島。北アフリカ一帯から地中海にかけて勢力を保っていたカルタゴは島の西方を支配していたが、ローマ軍が東方からじりじりと陣地を拡大しながらカルタゴ軍を追い込んでゆくという構図である。
舞台となるシチリア島はどんな所だろう。ポエニ戦争については世界史で学習したはずだがフェニキア人がどんな風貌だったとかシチリア島がどんな所なのかという具体的なイメージが全く無い。
私は映画にシチリアの端緒を求める事にした。以前から観たかったルキノ・ヴィスコンティー監督の山猫である。リアリズムにこだわった ヴィスコンティーなら必ずやシチリア現地で撮影しているはずだ。調べるとロケ地はシチリア島のパレルモ、チミンナ、アリッチャとある。映画は満たされなかった革命を描いたものだが、山猫は主人公であるサリーナ公爵一族の紋章である。
映画のなかでサリーナ公は呟く。「山猫と獅子は退きハイエナと羊の時代が来る。その誰もが己を「地の塩」だと信じている。」と。山猫と獅子は貴族と王族でハイエナと羊は財を成した新興階級を指すわけだ。ギリシャ支配に始まりローマとカルタゴ、ノルマン騎士団、エスパーニャ王権とフランス王権、などなど、いつの時代も属領化され島外市場への農産物供給源として搾取され、島内の領主貴族の上に王権支配が覆い被さる重層収奪構造に苦しんできたのがシチリアの歴史のようだ。窮状はサリーナ公の言うとおり支配階級が入れ替わっても変わらなかったのである。
映画では中途半端なイタリアのリソルジメント(統一)運動が意外に良く描かれており、司馬遼太郎的革命家像とは対極を成す、変わり身の早い革命家を演じた若いアラン・ドロンも良いのだが、舞踏会のシーンが素晴らしかった。当時の舞踏会は夜8時頃から始まり朝4時頃まで続いたのだという。撮影も実際の舞踏会さながらにすべての光源は蝋燭による自然光で、すべての蝋燭に灯をともすのに55分を要したという。エキストラも多くが実際のシチリア貴族とその末裔が招集されたらしい。パタパタと団扇で扇ぐ淑女の姿が目につくのは当然で、8月の夜、蝋燭の熱と人熱れと汗と香水と、当時の便器である尿瓶が放つ匂いが入り混じった実際の舞踏会がどんなものだったのか想像を巡らせてしまった。小道具として貴族出身のヴィスコンティーが持ち込んだという本物の古い尿瓶が洗面所のシーンで映り込んでいる。
このようにリアリティーに拘ったヴィスコンティー監督だが、役者の老いを表す為に歯の色まで変えたと聞く。濃い色で着色したらしい。
私も、折に触れて歯磨剤入りの歯磨き粉で着色を落とすようにはしておりますが・・・。